量子論的決定論
Einstein, de Broglie and Schrodinger 予想
参照

 

 

 

量子論的決定論

 2025年は量子力学誕生から100年目の年にあたります。この Open Science Magazineは、右のような立場にたつ雑誌です。なぜなら、量子論の波動関数の状態は、初期条件を含めて無数の未確定なパラメータをその奥に含んでいると考えられるからです。21世紀に入り、やっと真空を含む時空という実在が、研究の対象となってきました。真空は、大海原の無数の飛び散る波しずくのように、たえず不確定にうごめいております。その中でどうして初期条件の全てを人間が設定することが可能でしょうか。

 

Schrodingerの猫

 Schrodingerの猫の問題では、ポテンシャルの障壁V(x)を考えております。このV(x)は、Einsteinが言うように、”古典的な”平均的近似にすぎません。V(x)という記述は、ニュートンの重力や電磁気のクーロンの法則と同様な遠隔作用を含んだ古典的な近似にすぎません。量子の立場で見ると、このV(x)は、量子の擾乱と秩序の中で形成されたアンサンブル平均でしかないでしょう。そのような中で、V(x)のポテンシャルの障壁をこえて出てくる量子の観測量は人間には、透過確率しか計算できないのは明らかです。

 隠れた変数の問題、遠隔作用の問題では、Bellの不等式の提出のあと、たくさんの重要な実験が行われてきました。そして、現在、実験結果は確定しております。さて、1億光年はなれた2つの双子の光子の間に観測をすると瞬時に物理量が確定する現象が存在するというのは非常に不思議なことです。ここで考えなければいけないのは、このことを示す非常に多くの重要な実験結果も、"たった”1つのBellの論文に依存しているということです。Bellの不等式の証明を詳しくみると、まったく正当な論理により構成されているように思われますが、1つ疑問に思われる移行段階があります。この部分は常識的には正当ですが、量子の世界の不思議を考えると、”古典的常識”に属するのではないでしょうか。
 すなわち、Bellの論文に依存する多数の重要な実験結果が意味するものは、「"古典的な性質をもつ”隠れた変数は存在しない」ということなのです。

不確定性原理

 不確定性原理は、量子論の世界が全く革新的な世界であると示す原理として考えられております。しかし、古典的対応物として振動子があります。振動子の断熱不変量としてエネルギーEと振動数 ν の間に E/ν = dE/dν =Constが成立します。ここで、Constは0にはできません。さて、量子は当然、静止している電子でさえ、Et/h により、10^(-20)secの振動をしております。このような高速の振動子にたいして、どうして1振動の中を観測することができるでしょか。人間にとって観測できるのは、振動周期が1波長ほどずれる時間をまたねばなりません。また1波長の波長は完全な三角関数とはかぎりません。真空の擾乱によって揺らいでいる可能性が大きいでしょう(Heisenbergの意味の不確定性)。不確定性原理はその奥を探ることができない原理だと言う人がいますが、量子群がいつも h だということは、量子の奥に1つの実体、物理的実体があることを意味しており、この原理の奥を探ることこそ時空、真空を解明する鍵となるのではないでしょうか。

 コペンハーゲン解釈には、10にものぼる奇妙、奇天烈な説明が存在します。それに疑問を思ったり、深入りすると「古典的だとレッテルをはられ、量子論の革新性が理解できない」と後ろ指をさされたわけです。不確定性原理も永久機関が存在しないのと同様な、その奥を探る必要のない原理だという意見があります。しかし、Schrodingerが言っているように、世間の人々は、たくさんの奇妙な点を棚上げして、全くその奥をさぐろうとしてこなかったわけです。そして、これら奇妙な点を「量子という革新性」そのものだと言うにいたっているのです。これらはSchrodingeの言うように、メルヒェンとしての裸の王様の服であるように思われます。

  決定論を批判するのに、機械的決定論という言葉があります。モダンタイムスでチャップリンが歯車にからまっているイメージが浮かびますが、もはや21世紀では、量子の海の中の決定論を議論する時でしょう。そのため、量子的決定論という言葉が最適です。確率とは、古くはパスカルの時代に考えられたものです。人間には米粒1つの運動でも、その初期状態を1つに設定することは不可能です。確率とは人間の無知から創始された数学概念であって、それが自然界の根本を支配していると考えるのは、Schrodingerの言う「裸の王様の服」でしかないでしょう。

Einstein, de Broglie and Schrodinger 予想

 

知の巨人達

 数学や物理の世界では、量子論誕生時に、左図のようにたくさんの知の巨人達が、登場しました。人間の脳は、発達につれ階層構造を構成していくように思われます。中学時代に数学が得意でも、高校では苦労する人。高校では良いが大学数学はため息が出るとか。下部構造が構成されると、それらを統合する上部構造皮質が形成されていくのでしょう。上部構造が形成されれば、あたかも地面をはっているアリの状態から、2階から鳥観図のように見渡せることが可能となるのでしょう、数学では、そのような高み、あたかも人工衛星に乗っているかのような最上階の皮質から、リーマン予想やポアンカレ予想が生まれたのでしょう。問題を解けなくても、確かな予想、中間皮質しかない脳では見えない景色が見えるのでしょう。

量子概念の対立

 さて、物理の世界の知の巨人達でも、量子概念については2つの本質的ともいえる対立がありました。その能力とは「哲学的能力」とでも言えるのでしょうか。このような抜き差しならない対立が存在するということは、実在論を支持するEinstein、deBroglie、Schrodingerの持っている遺伝子(EDS遺伝子と呼ぶことにする)と、実証主義の最先端であるHeisenbergの遺伝子(H遺伝子)があることを意味しているのではないでしょうか。しかも、物理学会の大半が、Heisenberg達の立場を支持したということは、H遺伝子を持っている人のほうが多数らしいと考えられないでしょうか。このようなことは19世紀末にも、Boltzmann(唯物論者、物理の式により原子の存在を最初に提唱)とその対立者(単なる式であって原子は存在しないと言う実証主義者)の間で起こっております。Boltzmannは物理学会で孤立したわけです。H遺伝子は1つの社会での生存に有利なのかもしれません。2,300年後には、このような遺伝子と主義の関係が判明することでしょう。 数学のリーマン予想などと比較して、最上位の脳皮質を持った人しか観えない景色、実在論を、Einstein、de Bloglie、Schrodinger (EDS)予想と呼ぶことにします。

参照

 

Bellの不等式

Bell, J. S. Physics 1964, 1, 195
Aspect, A. et al. Phys. Rev. Lett. 1981, 47, 460; 1982, 49, 91; 1982, 49, 1804. 戻る

Bellの不等式の疑問

2018 科学基礎論学会、2018年,千葉大学講演会 ベルの不等式の別解釈(柳沢 雄太郎)https://phsc.jp/dat/rsm/20180524_16D3.pdf戻る

Schrodinger

 手紙 「シュレーディンガーからゾンマーフェルトに」1949年、波動力学形成史 k. プルチプラム 江沢洋訳(1982年)より 「ボーアに対して、、私には、アンデルセンの”王様の新しい着物”というメルヒェンのように思われます。、、、私は、もしかしてそこには言葉しかないのではないかということを真面目に考えてほしいと思うのです。、、そのために、”新力学”の重要な発見を忘却のかなたに沈ませ、物理的にも哲学的にも重要な意味をもつ謎解きをわすれさせています」 戻る

実証主義とその弊害

 ハイゼンベルク(1927年)、は「物理学は単に知覚の連関のみを形式的に記述すべきである」「すべての実験が量子力学の諸法則、したがってまた不確定性関係によって支配されるがゆえに、量子力学によって、因果律の不成立は決定的となった」
 山本義隆著(2022年)「ボーアとアインシュタインに量子を読む」 みすず書房 474page には 「物理学における認識対象の実在性を々しない立場は、同時に、事物の本質を問うという存在論的問題設定の断念、あるいは現象の背後の因果的メカニズムへの問いかけの放棄をともなっていたのである」
Schrodingerの言うように、10指にのぼる問題を、「量子の革新性」というお札を貼って神棚に祭ったり、簡単にゴミ箱に投げ捨ててかえりみない時代が100年近くも続いたのではないでしょうか戻る

因果律-量子的決定論

 湯川秀樹は、物理講義(1975年講談社119page) の 古典的因果律からの転換の章で、「ボームなどのそういう議論(量子力学の因果的解釈を主張)は、普通の量子力学の段階では、言ってもあまり意味がないから、問題にしないほうがよろしいわけです」とある戻る

遺伝子

 30年ほど前の週刊朝日に、井上靖についての記事があった。父親が、昔の井戸のポンプに水をいれて、水がでるようにしていた。どうだ面白いだろう、これを呼び水と言うんだとといって靖の顔を見ていると、靖が、しばらくして、「このことに呼び水と名づけることが面白い」といったそうだ。父親は、じっと息子の顔をながめていて、最後に「お前は文科系だな」と1言、いったそうだ。優れた脳皮質の違いにより、ドーパミンの爆発が異なり、意識にうかぶものは全く異なるもののようだ。戻る

Einstein、de Bloglie、Schrodinger予想

 Dirac 「私は、最終的にはEinsteinが正しいことになると思います。量子力学の現在の形を最終的な形と考えるべきではないからです」 1975年 Directions in Physics 「現代物理学講義」岡村浩訳、ちくま学芸文庫 戻る

Copyright 2025/1/2 Editor-in-chief Yutaro Yanagisawa 

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